4日目、白糠線へ
こちらから続いてます。
05/18
宿ではお風呂のオープンに合わせて、早起きします。
温泉に入ってのんびりだよ。
朝ご飯もオープンと同時に食べに行くです。
おかずもデザートも豊富でしたけど、ライブキッチンで作って貰うフレンチトーストがやたらと美味しくって、無限にそればっか食べてました。
あ、幸せ…。
自分ひとりの旅では考えられない、08:00過ぎには早くも宿から出発だね。
煙の上がる硫黄山を右手に眺めつつ。
少しは観光ぽいこともしなくちゃね、なのでオンネトーに寄り道です。
帰宅後、何処行ったの?と聞かれたときのネタつくりを兼ねてます。
また面倒な…。
まあ、廃線巡りばっかしてますからねー。
普通の人には旅の趣旨を説明しにくいのかも。
オンネトーには観光バスの団体さんも来ていたです。
トイレ休憩で立ち寄った道の駅、阿寒丹頂の里には「阿寒炭鉱と鉄道館 雄鶴」なんてのが有って、じっくりと資料を読み込んでしまいました。
SLと貨車も置かれていたよ。
炭鉱と共に鉄道や小中学校、映画館も有る街が出来て、炭鉱と共に全て消えてしまうなんて、凄く不思議な感じがするけれど。
人の営みって、そういうものなのかもしれません。
その後の活性化は不可能なんです。
ちなみにここは駅跡って訳では無いみたい。
その後、白糠線の廃線跡を辿ります。
橋梁があちこちにそのまま残っていました。
全て壊して元に戻したりはしないのですね。
本当にそのまま廃棄されています。
それが許されたのは、国鉄だったから…?。
まあ、大勢に影響は無さそうなのですけど。
後から工事したところだけが、ぷっつり途切れていて。
感慨にふけって、牛さんにご挨拶。
いえ、どうしたわけか、私に気付いた牛さん達、続々と近くに集まって来ました。
意外と好奇心旺盛なのかしらん。
この後も更に集まって来て、全牛を召喚出来そうな勢いだったけれど、私には牛使いのスキルが有るのかも。
♥魅了。
ここの橋梁も、見事にぷっつり途切れてます。
反対側によじ登って、上から見下ろしてみたり。
何だか不思議な感覚。
道の部分だけを綺麗にカットしているの。
上茶路の駅は、線路もそのまま残っていました。
何か意図が有って残したのか、面倒だからそのまま放棄したのか、全く謎なのですけど。
ホームも綺麗に残っています。
駅名板の枠もそのまんま。
さすがに駅舎は無くなってましたけど。
周囲に人の気配は全く有りません。
駅への入り口は、こんな感じで。
ここが駅への入り口だなんて、初見では絶対に分かりません。
道道に良くある、停車場線て名前だよ。
一応仮にも白糠線の終点だった北進の駅跡は、本当に何も無かったです。
ここまで道が有るのが不思議な位に、人家からは離れていて。
こんなの、グーグルマップが無ければとても辿り着けませんよお。
地方交通線のトップを切って廃止になったことも、当然な気がする白糠線なのです。
その後、本別の駅跡でおにぎりを買って、車の中でご飯です。
お腹が全然空かないから、今日はこれで十分だあ。
この旅、ずっと食べ過ぎ状態なんだもん。
道の駅しほろ温泉でお風呂に入って、疲れを癒しましょう。
今日はかなり暑かったし、あちこち歩き回ったので、リフレッシュしました。
ここに併設されている宿、いつか泊まろうと思いつつ、未だに果たせていません。
士幌の駅も線路は残っていますが、前後の区間はすっぱり途切れて開発されています。
街中ですものね。
士幌の街の拡がりを見ると、鉄道を残しても戦えた気がしなくもないのですが、皆さん自動車利用で、いくら帯広に直結していても無理なのでしょうね。
構内には、何故か貨車3両が保管されています。
私の手元の古い時刻表には、急行「大平原」が設定されていたりするのですけど。
てことで、昨日に続いて今日も、廃線巡りな1日なのでした。
こちらに続いてます。
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留さん☆
更新が殆ど無いこのブログ、ご覧頂いてありがとうございます。
嬉しいです!。
上茶路の線路、以前は活用されていたのですね。
成る程です。
廃線跡を利用した軌道自転車やトロッコ、あちこちにあるみたいですが、まだ一度も体験したことがなくって。
乗ってみたいです。
謎が解けて助かりました(^^)。
投稿: C.Maya | 2023.09.21 07:54
おはようございます。いつも楽しく拝見させていただいております。
初めてコメントいたします。
上茶路の駅ですが、かつて軌道自転車が置いてあり、それで一周できる線路を敷いてあったのでその名残で線路が残ってるのではないかと思います。
私が訪問したのも20年以上前なのでいつ頃まで活用されてたかは分かりませんが。
投稿: 留 | 2023.09.20 08:27