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2005.05.03

■AIR 第十二話「そら~air~」

 最終回です。
 もう、放送から一ヶ月以上が経っちゃいました。
 しかも、この最終回を見る前に、総集編を見ちゃったりしています(でも幸い、ネタバレにはなりませんでした。センスいいよね)。
 観鈴の背中に白い大きな翼が生えて大空に飛び立っていく、みたいなラストを勝手に思い描いていたりしたのですが、全然違ってました。
 今更ですが、最終回の感想だけが無いというのも気持ち悪いので、ちゃんと記録を残しておきます…。

 結果的に、この作品の対しての評価っていうのは、微妙です。
 私の中で。
 正直、泣きどころが何処かも分かりませんでした。
 映像の凄さっていうのは、私の評価ポイントには成り得ませんし…。
 盛り上がっている他のサイトさんの記事を見ながら、どうしても一歩下がって見ていたというのが真相かな。

 感情移入出来なかった大きな原因は、ストーリーを引っ張っていくべきキャラクターが、ころころ変わったというのが大きいです。
 往人だったり、神奈だったり、晴子だったり。
 ヒロインの観鈴は、余りにも弱々しかったし。
 観鈴っていうのは、大きな流れの中で、誰かの気持ちを受け止めても、それをまた相手に返すっていうのが出来ないコだったから…。
 それでいて記憶を無くしちゃうなんて、悪い冗談みたいで。
 しかも、出会ったばかりの往人や観鈴の運命を冷静に見ている、更に別のキャラクターが居た、なんていうのは、私にはとても気持ち悪いことなんですね。
 それがストーリーをある意味軽くしてしまっている原因かな、なんて。

 「我が子よ、よくお聴きなさい。」で始まるメッセージは、作品の中で聞いたときにはあまりしっくり来なかったけれど、文章に書き起こしてみて初めて、伝えたいことが分かったような気がしています。
 その程度の理解力しか無い私なのですが、メッセージの意味が作品の中から実感出来たかというと、決してそうではなかったかなあ。
 観鈴が暮らしていた、あの海沿いの街に、「憎しみや争い」は決して無かったと思うもん。
 でも、みんながみんな、幸せになれたわけじゃ無くって。
 「幸せな記憶」を継ぐべき当事者には、それって許されないことなのかなあ。
 記憶は継げても、誰かが居なくなってしまうっていう現実は、変わらない筈なんですけどね。

 旅にはいつか終わりがあって。
 今の私達に、終わらない旅を続けることは、不可能なのです。
 でも、その旅が終わっても、また次の旅に出れるなら。
 その次の旅がもっと楽しいなら、今の旅が終わってしまうことが寂しくても、今の旅が例えつまらなくっても、嬉しい気持ちでいられる筈。
 そらにしても、晴子にしても、柳也にしても、思い出は残ったけれど、この先どんな旅をして行くのか、楽しいことって何なのか、それがとても見えにくいのは寂しいかなあって、私なんかは思うのでした。
 佳乃や美凪の対比としても、それは確実にあります。

 ということで、私の自意識のバリアが、微妙に作品との間に距離を作っていたみたい。
 全体としては、そんな感じでしょうか…。

 逆に言えば、そういった部分から逃げずに描き切ってあるのは凄いこと、なんですよね。
 私も、何だかんだと文句ばっかり書いてしまいましたけど、決して嫌いな作品では無かったです。
 ただ、この結末だと、DVDまでは買わないと思いますけど…。
 主題歌の「鳥の詩」と「Farewell Song」は凄い好きで、アルバムを入手して、特に「Farewell Song」は毎日のように電車で聴いていました。

 どろり濃厚ピーチの正しい飲み方が分かったのは、嬉しいです。
 それと、ポテトが凄く可愛くって。
 ラスト、手を繋いで海岸を歩いて行く、男の子と女の子がタイトルカットに重なって行くのもセンス良かったですよね(事の是非はともかく)。
 しかし、こんな感想でいいのかなあ(^^;。

 色々なサイトさんを回れば、解釈とかも自分なりに整理出来たと思うのですが、幸か不幸か、私が普段巡回しているサイトさんは、殆どAIRを扱っていませんでした…。
 そんな中、『遍在 -omnipresence-』さんの記事を、いつも参考にさせて頂いていました。
 「AIR」っていう作品との、正しい向き合い方を教えて貰ったような気がします。
 ありがとうございました。

 さて、次は「AIR In Summer」ですね。

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コメント

>TVシリーズ『AIR』は、自分にとって心地の良い"分かりにくさ"でした。

これは、なかなか言い得て妙という感じがします。
世界観派の私が真っ先に感じるべき視点だった……と、総集編を見ながら考えたのを思い出します。

『AIR』の描き方のツボが理解できた気になったのがラストになってからで、私にとって総集編はとても必要なものでした。

分かりにくさというと聞こえが悪い向きもあるので私の自分用感想(最終回)では「魅力的な暗示」と言い換えたりしていますが、それが短所ではなく長所なのだと、もっと早く気付きたかったです。
それ故に、総集編は私にとって自分の失敗を補正し、再確認する場でした。

だから、その再確認ができた現在になって作品の印象はプラス方向にブレているはずなのに、そういう見方ができなかったシリーズ時点に遡るとアレな感想になってしまうのです^^;

……あらためて読み返してみると、私の2件目のレスあたりから悪い癖が出てしまいました。
感想として嘘は書いていないつもりですが、コメントとしての言葉の選び方が足りなかった(作品が好きだという姿勢をもっと文章にぶつけたかった)と反省しております。
勢いに任せた文章が感情的になりすぎる点を、意識して修正していきたいと思います。

Akihiro Inda.さん☆

 それでは、次の「AIR in Summer」を楽しみにしつつ…。
 実は現代編と平安編を比べたら、現代編の方が好きだったりするのですけど。
 TBの間違いは、再送信しました。
 お手数をおかけしますが、誤送信分は、削除をお願い致します。

 それとTBですが、そちらの第一話から、こちらの第二話へ送られています。
 もう一度、第二話からTBを戴ければ、この誤TBを削除します。

 C.Mayaさん、加嶋さん、こんばんは。

 返信が遅くなってすいません。
 TVシリーズ『AIR』は、自分にとって心地の良い"分かりにくさ"でした。
 そしてコミカルな Summer 編は、それはそれで愉しめていました。

 ですがそうではなく、厳しい眼を持たれている方もいることが分かりました。
 今回は、TVシリーズ『AIR』をまた、違った角度から味わえて良かったです。
 ありがとうございました。


 それでは、よしなに。

recordbreakerさん☆

 お久しぶりです。
 アニメだと、内容的に不親切な部分っていうのは、やっぱりあるんですねー。
 この作品、ゲームだと主人公であるプレーヤーがどの程度ストーリーに関われるのか、ちょっと気になります。
 でも、待っているであろう結末のことを考えると、自分ではプレイする勇気が出て来ません…。
 佳乃や美凪のシナリオなら心安らかに居られるかっていうと、そういうわけでも無いんでしょうし。
 悲しくなったり、鬱になったり、考えさせられたりする結末って、実は好きじゃ無いんですよね(^^;。

Akihiro Inda.さん☆

 観鈴が自分で行動して、次の場面に進もうとすると、そこで必ず何か障害が起きるわけですが、それが余りにも極端過ぎて、ついて行けなくなっていたっていうのは確実にありますね…。
 観鈴が痛がっても、泣いても、それを自分のものとして感じ取ることが出来なくって、どこか醒めた目で見てしまうというか。
 違う側面に対して、視点を変えなくちゃいけないの、それがかなり辛かったのは事実です…。

>加嶋さんのいう、"乱雑"とか"放棄"とか、自分にはそんな風に見えなかったので、これは的外れかも知れませんが、"そういったキャラクタ"ということで、納得は出来なかったのでしょうか?

私の場合、観鈴の過去・秘密・想い……が明かされる時には、それまでの分かりにくさ故、既に世界観以外の楽しみ方に見切りを付けたしまっていました。
そのため、原因不明の症状があるから友達ができないと説明されたところで、あまり興味もなく「ああ、そうなの、それで?」という以上のコメントが出てこなかったのです。
特に件の7話では、直前の6話(みちるのエピソード)がストレートに感情に訴える良作だった分、余計にそういう冷めた思いを持ってしまいました。
このあたり、我ながらとても勿体なかった気がしています。
第1話の印象通り、素直に往人を追っていれば観鈴のキャラが見えないのも納得できたのだけれど。
他のヒロインが充分の存在感を主張して退場していく展開の中、一番登場機会が多い観鈴が見えないことのもどかしさの方に意識を奪われてしまいました。

そういう意味で、世界観とキャラクターのわかりやすさが両立できていた平安編(Summer編)はとても面白かったです。
これだけでも全12話を見たいと思ったくらいに^^;

 皆さん、こんばんは。

 加嶋さんのいう、"乱雑"とか"放棄"とか、自分にはそんな風に見えなかったので、これは的外れかも知れませんが、"そういったキャラクタ"ということで、納得は出来なかったのでしょうか?
 自分の場合、これは『AIR』に限らず、"訳の分からないこと"があれば、それはそのまま"訳の分からないこと"として、受け止めています。
 もちろんそれが過ぎると、"訳の分からない作品"として、切ってしまうんですけどね。(苦笑)

 C.Mayaさんのいう、"一生懸命に友達を作ろうとしていた観鈴"は、往人に出逢ったことで、成就されたのではないでしょうか?
 目的が友達から往人になって、夢を見続けることになった。
 そうしてキャラクタの行動が、シフトしてきたのだと思います。

 観鈴の本質というか、ある人物のことを、自分が勝手にこういう人だと思い込んでいた。
 そしてある日、その人の全く違う側面が見えてきた。
 この時、その全く違う側面も含めてのその人なんだと思えるか否か。
 そんなところでは、ないのでしょうか?

 それでPS2版ですが、TVシリーズで映像化されていた相当部分を、テキストだけで済ませているのに驚いています。


 それでは、よしなに。

C.Mayaさん、こんにちは、カレイドスターぶりですね。
AIRをやったことがあるので、このアニメをみて、感じたのは、ゲームをやった人が安心してみれるように作られたかなって、、
それでも内容は薄いとは思いますが、、
そのあたりは、プレイした人は補完するみたいな。。
まぁ、文才がないので、うまくいえませんが。

Akihiro Inda.さん☆
 実は、私が感想を書くときは、いつもAkihiro Inda.さんの感想を参照しながら書いていました。
 作品の見方として、作り手さんの意図を読み取るっていう姿勢は、とても参考になりましたもん。
 PS2版のインプレッション、続きを楽しみにしています。

 さて、私がAIRで困ってしまったのは、観鈴の描き方、なんですよね。
 最初の頃は、私も凄くいい感じで見れていたんです。
 辛いシーンや悲しいシーンもあったけれど、辛いことは辛いことして、悲しいことは悲しいこととして受け止められましたから…。
 前半のエピソードっていうのは往人の為にあったと思うので、往人の描き方には凄く満足しています。
 でも、その往人が居なくなってしまったとき、途端に観鈴のことが分からなくなっちゃいました。
 確かに、そらとして近くには居たのですけど、往人としての気持ちは観鈴には伝わらないし、晴子にだって勿論伝わらない、それがとても残念で。
 晴子と敬介から見た観鈴っていうのは、護るべき自分の娘っていう意味が強過ぎて、一生懸命に友達を作ろうとしていた観鈴の一面なんかが消えてしまったような気がするんですよね。
 晴子にとっての観鈴は、ずっと自分の手の中に居る観鈴なのかな、なんてことも考えちゃって。
 それに、観鈴は色々と破壊力のある特徴を持っていたので、そっちに気を取られてしまうと、途端に本質が分からなくなっちゃうんです。
 今思うと、そこに引っ掛かっていたのは、私の方が悪かったような気がしていますけど(^^;。

加嶋結喜さん☆

 私は、AIRを往人の視点から見ていたかった、というのが凄くあるので、往人が居なくなってしまうと、やっぱり厳しかったです。
 しかも、登場人物達ではどうしようもない、様々な要素が絡み合っているので、キャラクター視点を重視する私の見方では、一歩下がって、離れて見ざるを得ませんでした…。

 そういえば、Kanonのときは放送の途中でゲームのプレイを強力に勧められて、放送の中盤でほぼ全てのシナリオをクリアしてしまい、その後はそれまでとはちょっと違った見方でアニメも見るようになった記憶があります。
 あの放送スケジュールで、私もよくそんなことが出来たなあと思ったりしますが、KanonとAIRは描き方も全然違いますし、それはまあここでは関係無いですね(^^;。

 でもそれは、感情移入度には確かに関わって来ます。
 バックボーンとしての部分をきちんと理解していないと、泣けない展開になっていたのも事実でしょうか…。
 私の好みな、シンプルな描き方では無かったですね。

>さて加嶋さんの、"心情が突貫工事"という表現が、もう一つ掴め切れません。

心情の描写が乱雑な印象だった、という感じです。
(「突貫工事」は間に合わせというニュアンスが強いので、かなり語弊がありました。お詫びいたします)

いや、本当は“敢えて多くは語らないから読み取ってね”ということなんでしょうけど……。
作品の存在が私という視聴者に定着する前の、最初の段階からそんな調子だったので、ペースが完全に狂わされてしまいました。

【表面に描かれない心情を視聴者の方で感じて補完する】スキルのは、ある程度キャラクターのことが分かっていないといけないのですが。
そこを放棄して話と設定を進められてしまった点は、制作者側の独り善がりに見えてしまったというものです。
特に私は「キャラ」の前段階として「世界観」から作品に入っていくので、余計に置いて行かれた感が強かったのかも知れません。

……と、前回今回の書き込みを通じてなんだか悪い面ばかり書いてしまったのですが^^;
先述した、私が作品を楽しむうえで最重要視する「世界観」は印象が美しく、そういう面は大好きな作品だったことも付け加えておきます。

Akihiro Inda.さん

 遅くなりましたが、ご依頼のコメントの削除も、先程行ないました。
 こちらの記事をチェックしていましたら、TBの送信を間違えているのがあったり、ご迷惑をおかけしました…。
 作品の内容に関しては、加嶋さんに頂いたコメントと合わせて、もう一度考えてみています…。

 こんばんは。

 改行訂正ありがとうございます。

 さて加嶋さんの、"心情が突貫工事"という表現が、もう一つ掴め切れません。
 そこが掴めれば、同じく予備知識なしに観た自分とのギャップが、埋められるかと思いましたので。


 それでは、よしなに。

私も、この作品に対して抱いた感想は似たようなものでした。
登場人物の感情がしっかり描かれたのは「平安編」「クライマックスの晴子」だけだったような。
前半、ヒロインごとのストーリーの見せ方の上手さがこの作品の存在感を際立たせたのに対し、その骨格をカバーすべき心情が突貫工事で、見ていて困るケースが多かったです。
そうやって感情移入度が希薄だと、副作用として見せ場のシーンまで「泣かせてやる」という押しつけがましい印象になった気がします。

原作ファンには非常に好評だったこの作品。
逆に予備知識なしだった私にとっては、作品を堪能するための要素がオプション扱いされていて厳しすぎました。
蒼穹のファフナーの前半の時も感じていた、本来はもっと楽しめるはずのものを楽しめない感覚。
せっかくキャラクターが掘り下げられたラストは展開自体が唐突で。
結局、最後までこの感覚を拭い去ることができなかったのがとても残念でした……。

 C.Mayaさん、こんばんは。

 拙文はどの程度お役に立ちましたでしょうか?
 自分の物の見方が正しいかどうかは分かりませんが、たくさんあるブログの末席には、こんな奴もいたということで。(^^)

 さて、このエントリを拝見していますと、C.Mayaさんは各キャラクタをもっと掘り下げて欲しかったように、見受けられました。
 この辺りは1クールに纏めたために、掘り下げ切れなかったのでは?と思っています。
 それで、その辺りを確かめるためということではないのですが、先日、PS2版を購入しました。
 その辺りの掘り下げの違いも、確かめられればと思っています。
 『AIR In Summer』までには、クリアしたいと思います。

 それでは、よしなに。

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